由来
信仰、迷信
神道の神の由来
我が国固有の民族信仰である
神道(しんとう)は、宗教学でいえば、
神人同格教。
つまり
人間も修養を積めば死して神になることができるという思想。
伊勢神宮のアマテラスオオミカミも、東照宮の徳川家康も神にまつられるうえからは同一。
ただ
神格としての相違があるだけ。
(キリスト教や回教は、神人懸隔教)
仏教はその信者が死後だれでも仏になれるという点で、神人同格教と同じ性質を持つ。
この共通点から本地垂迹(ほんじすいじゃく)の思想を生み、神仏は混淆して一本となって栄えた。
やがて結果的には仏教のほうが優勢となり、神社には社僧とか別当という管理職の僧侶が出現し、神道側は圧迫された。
明治維新直後に「神仏分離令」がせいていされ、神道は仏教から離れて、国家の手厚い保護が加えられた。
しかし第二次世界大戦後、新憲法下では、国家が宗教にかかわることは禁じられ、神道は独立自活を余儀なくされた。
「起源のナゾ」樋口清之監修(光文書院)より
しめ縄の起こり
アマテラスオオミカミが
天の岩戸へこもって天地が暗くなった時、
アマノタジカラオノカミ賀岩戸を開き、フトタマノミコトがアマテラルオオミカミを連れ出し、
そのあと
稲わらで作ったしめくくり縄をはって
「二度とこのなかへお入りにならないよう」といった。
アマテラスオオミカミはうなずかれて、以後天地は明るくなったと『古事記』『日本書紀』に見られるが、
このときのしめくくり縄が、しめ縄の起こりで、
神聖な場所の標識となった。
稲わらで縄をない、「七五三縄」とも書かれるように、
その縄目の七・五またはしめ縄の起こりのところにわらの下(さが)りをつけ、
更に白紙で小さいしめの子をつけると、しめ縄が出来上がる。
垂れ下げるものの形によって、前垂れしめ縄、大根しめ縄、牛蒡しめ縄などと呼ぶ。
「起源のナゾ」樋口清之監修(光文書院)p242より
■更新日■2011-04-22
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