ここに、『人はなぜ花を愛でるのか』という、一冊の本があります。
ちょっとじっくり向き合いたい本なので、目次読書、抜き書きをしながら、考えてみたいと思います。
この本では日高敏隆さんのまえがき部分に出てきますように、「6万年ほど昔のネアンデルタール人の化石があったイラクの洞窟に花を捧げていた跡があった」ということを、どう捉えるかということが、ひとつの課題です。
花と人の考察、ではでは、以下へ・・・(2011年01月13日 )

人はなぜ花を愛でるのか ■地球研ライブラリー■
日高敏隆・白幡洋三郎 編 八坂書房 (2007/04)刊
人間文化にかかわる総合的研究
国立大学共同利用法人の 人間文化機構のシンポジウムから生まれた

目次

八坂書房での紹介はじめに
第1章: 「先史美術に花はなぜ描かれなかったのか」
第2章: 「六万年前の花に託した心」
第3章: 「花を愛でれば人間か?:人類進化研究に読み込まれた解釈」
第4章: 「古代メソポタミアとエジプトにおける花」
第5章: 「人が花に出会ったとき」
第6章: 「花をまとい、花を贈る ということ」
第7章: 「花を詠う、花を描く――文学・美術の中の花――」
第8章: 「花を喰らう人びと」
第9章: 「花を育てる、花を観賞する:花を愛でる美意識の歴史」

(抜き書き)

はじめに

日高敏隆

根源的な問い: 人は部屋に花を飾り、何かの機会には花を贈る。衣装には花。髪にも花。庭には四季の花を植え、景色や道端の花に思わず心が和む。
主たる食べ物になることも少ないし、衣装の素材になることもない。道具や家を作るのにも使えない。
そのようないわば無用な花を、人はなぜこんなに好み、愛でるのだろう(p6)
人間は先史時代から花を愛でていたのか?
人間が花を好きなのは生得的な性質か?
シャニダール洞窟の謎 (1977年)」による一大センセーション
6万年ほど昔のネアンデルタール人の化石があったイラクの洞窟に花を捧げていた跡があった(p8)
花はいつ人間の身近に現れたのか?

「昔から人は、 山や岩や大木などには何らかの超越的な力があると信じてきた。 これらの存在を崇め、その力によってに守ってもらおうと思ってきた。
その力をやたら振るってくれないようにも祈って来た。(p10)
なぜだか判らないが、 花は自分の気持ちを伝えてくれるような、 気がしていたのではないか。
つまり山や岩や大木には感じないものを、人間は花に感じてきたた。 人は花を愛でるのはそれゆえにではないのだろうか。

先史美術に花はなぜ描かれなかったのか

美術史:小川勝

洞窟壁画にえがかれたもの
日本人にとって絵とは花鳥風月、特に花は何より重要な画題であった
人間が創りだした最初の美術=洞窟壁画・・
7万年前・ブロンボスの線条・・?最古の芸術作品(という声もあるが)(※ネアンデルタール人のものという説がでています)
後期旧石器時代(紀元前4万年から同1万年)・・フランス南西部・スペイン北部
写実的でダイナミックな動物像
花は動物ほどには重要な存在ではなかったと推論できる
中石器時代の表現
人間はどの時代から花を描き始めたか?
紀元前5000年・・レヒミヤの大ヤギ狩猟(スペイン バレンシア)
人間も描かれる
花に関わる蜂蜜狩猟の絵がある
果樹の絵(スペイン ドーニャ・クロティルデ)
絵を描き、花を愛でる人類
花も美術も生存に不可欠でない
しかし、支えていた社会の小ささに比べて信じられない規模の大きさ
100人に満たいない社会が創り上げた壮大な洞窟壁画
欠かすことのできないもの
余暇を活かす余裕の贅沢品でなく、生き延びるための武器にも似たもの
実利だけでは生きられない、花の存在意義
花なしでは生きた屍になっている人間
自然に対し謙虚である事を忘れないため 花がいつもそばにある事を望んでいる
自然に対して畏怖の感情を持つ事も 花を愛でる事につながるかもしれない。
花に思いを寄せるという事は、 自然のさなかにいる人間のあり方を もう一度見つめ直す事につながってゆく

六万年前の花に託した心

考古学・文化人類学:小山修三

1.花の埋葬
1960年代・・アメリカのR・S・ソレッキ
花をいっぱい供えた死者の埋葬、それを行ったのはネアンデルタール人(仮説)
ノコギリソウ、スギナ、アザミ、ヤグルマソウ、ムスカリ、タチアオイ、など8種の花粉(これらは今も薬草として使われている)が発見された (1958~57年のシャニダール洞窟発掘調査)
2.ネアンデルタール人はサルかヒトか
1911年フランス人M・ブールが容貌を復元「ウスノロで凶暴、野獣的」差別感
3.常識論からの批判
いったん確立した理論やイメージを覆すのは困難
保守的なアカデミー・・(学者も時代の子である)
4.分子生物学からの衝撃
1970年末から盛んになった分子生物学
ネアンデルタール人は人の直接の祖先ではなく、約60万年前に分岐したヒトの亜種
ホモ・サピエンスは20万年前のアフリカから出て、世界に広がり、先住のホモ類と交代した(主流の仮説)
5.絶対年代が変えた考古学
考古学に絶対年代が採用されるようになって、離れた地域の比較が可能になった
ネアンデルタール人は遅くても6万年前には絶滅して、次の発達段階のクロマニヨン人に交代したというのがかっての定説
ところが、2005年に2.8~2.4万という新しさのネアンデルタール人の遺跡が発見された
クロマニヨン人と共存した時代があった
6.道具に写される文化
ネアンデルタール人が人の直接の先祖かどうか、ゆらぎが収まらない
(1)石器の文化
200万年前 最初の石器 ホモ・ハビリス(脳容量750cc)
100万年前 梨形ハンド・アックス ホモ・エレクタス(脳容量950cc)
20万年前 ルバロワ技法 ネアンデルタール人(脳容量1625cc
3・5万年前 精巧な石器 クロマニヨン人)現人類(脳容量1500cc)
(2)アクセサリー
玉類・・シカやオオカミの歯
貝殻、ダチョウの卵殻
ブロンボス洞窟・・7.5万年前の幾何文 (3)埋葬
最も古い例はネアンデルタール人のもの10万年前
(イスラエルのカフゼー洞窟など)
ネアンデルタール人を人と分ける必然性はない
7.花を愛でることの意味するもの
基底には 花が美しいと感じる、人の「特別な意識」がある
栽培や品種改良によって、より大きく色鮮やかな花を創りだしてきた
美意識として現れる文化

花を愛でれば人間か?

人類進化研究に組み込まれた解釈

人類学・考古学:大西秀之

1.花を愛でる心の在り処
「感性」なのか「行為」なのか「慣行」なのか
花の鑑賞や花の儀礼・祭典での使用などはどれも個別の文化で規定されている
2.人類進化の道程
日進月歩の調査研究の進展
現生人類にいたるまでの段階
猿人→原人→旧人→新人 (過去の遺制である感が否めないが)
猿人
500~600万年前チンパンジーの系統と分岐
450万年前 ラミダス猿人
300万年前 アウストラロピテクス・アファレンシス(脳容量400ml)二足歩行
原人
約250万年前以降
ホモ・ハビリス
ホモ・エレクトゥス・・150万年前の「トゥルカナ・ボーイ」現代人に近いプロポーション
直立二足歩行・・長距離移動を可能にした・・アジア地域でも発見
ヒト化の基礎が備わった画期
旧人
原来はネアンデルタール人(20万年前に出現)を指していた
近年は「古代型サピエンス」(50万年前に原人から進化し、 ネアンデルタール人と現生人類とに分岐した)
新人
現生人類のこと
ネアンデルタール人と現生人類の直接的な進化関係が否定されたことにより、現在この用語はほとんど使用されていない。
種としては約13万年前から今日まで進化していない。
約4万年前に顕著な変化・・石器制作の変化
生物として進化していないにもかかわらず、 急速に文化的側面を変化させた
「文化のビックバン」
3.現生人類との同一視
人類を特徴付けるもの、
二足歩行、身体形質、脳容量、道具使用・制作、社会的・精神的行動
直立二足歩行から400万年のタイムスケール
シャニダール遺跡
遺骸の脇に花をおいたことが事実であっても、その行動が「死者を悼んだ」ものであったとなぜみなされるか
基本的に異なる生物であるがゆえに、 裏付けのない解釈
4.では現生人類ならば花を愛でるのか?
文化のビックバンを是認するなら、現代型サピエンスは生物学的・生得的能力とは別に、精神面などの文化的能力を発展させたことになる
全く異なるメンタリティ=認知パターンに基づいていた可能性が否定できなくなる
「文化的ビックバン」は仮説
結論:人類進化の研究からは「花を愛でる」という認知や行動が、我々にとって、生得的か後天的か明らかにできない
「ひとは、なぜ花を愛でるのか」・・決してとくことのできない、自らの心の深層への問いかけ
だからこそ我々をひきつけて放さない問い。

メソポタミア・エジプトの文明と花

美術史・アッシリア学 :渡辺千香子

この第5章は、私のテーマである、唐草研究に関係するので、迂回します。(のちほどそちらへ
1.メソポタミアとエジプトの概要
2.新石器時代
3.エジプト
4.メソポタミア
5.「花」を表す語彙
2種類の言葉・・flowerは草の花、blossomは木の花
植物としてのflowerは花弁や萼に囲まれた植物の生殖器官で、[花(blossom)」とその「茎」をも含めたもの
blossomは果実や種に先立つ「花(flower)」で、そのあとに続く果実などの予兆。 (ドイツ語のBlumeとBlüteの違いと同じ
古代エジプト語
花ー「セチィ・シャア」(=庭の香りを意味する)
「レンピト」=ブーケ(のようなもの)
ロータスは死者への供物として、葬祭に欠かせない植物であった
セシェン(ロータス)、ネヘブ(ロータスのつぼみ)、サアプト(ロータスの花びら)
花の部位によって呼び名が細分化している=語彙豊か=重要な花であった
メソポタミア
花を意味する単語の存在がいまだ解明されていない
シュメール語> girim,gurin・・花と実の両方
アッカド語inbu つぼみ、花、実三段階すべてに適用されるる)
おわりに
エジプトでは、花は死者の「再生」というもっとも重要な宗教的価値観と密接なかかわりを持ち、原題の私たちの花にたいする 鑑賞とさほど違わない形で、その美を愛で、香りを賞賛していた
メソポタミアでは、花という概念だけを抜き出して捉えていた痕跡がない。
花と蕾と実をおなじひとつのものと捉え、それを言葉によって区別する必要を感じていなかったらしい。 その反面、植物の分類や目録の作成は盛んで、人間の生活に役立つかどうかが重要なポイントだった。
dジプとのロータスも、メソポタミアのロゼットも、生命力に直結する象徴性が強く、 花は人間の生に有益なものをもたらす存在として捉えられていた。 古代の両文明において、花は豊穣の概念と共に、現実を超えた、なにか神聖で霊的なものへの「架け橋」として広く受け止められていた

人が花に出会ったとき

遺伝学、DNA考古学 :佐藤洋一郎

攪乱と草原の登場
人が花を愛でるためには、まず花がなければなない。
日本列島の大部分の土地はここ1万年ほど、深い森に覆われていた。
森を壊す力を「攪乱」という。
農業の開始・・数千年前から
農業による最大の変化は周囲の「生態系」の変化。
植物に対する愛着や所有の意識。
最初のうちは「定住」の度合いが増したこと。
住居のそばの木を切る
森のなくなったところに草地が広がった。 20世紀の考古学者ゴードン・チャイルドは「農業革命」という概念を出した。 しかし最近の研究では、農業の発達は極めてゆっくりと進んだと考えられている
(世界中で緩やかな変化)
撹乱の主は人だけか 火山の噴火
裸地にすぐに草が入り込んでくる・・
草(パイオニア)・・種子をたくさん作り、それをばらまく性質に長けている 火・・人が畑を開くのに極めて有効な道具
木の灰・・作物のすぐれた栄養となる
土地が誰のものでもなかった時代の火山の噴火は、定住のための「ビックチャンス」
アボリジニーの クールファイアー
水も撹乱の原因に
水に漬かったり乾いたりを繰り返す土地
森林の形成を妨げ、草地を作り出す
攪乱と植物
森の植物の代表者は木 森に生きた木々は寿命の長い木々
巨樹の森では、生き物の進化はゆっくり 撹乱のインナーバルが短くなるほど、生える植物は寿命の短いものに変化していく
「寿命が短い」=植物の世界では一定の時間にたくさんの種子をつけること
たくさんの種子をつける=たくさんの花をつける必要がある
里の誕生
栽培植物や撹乱環境を好む植物、例えば随伴植物などが増えた
このようにしてできた人為の生態系を私は「里」と呼ぶ
里の植物は、その多くが花をつけ種子を残すもの
里という環境こそが、人と花と日常的に接することができるようになった最初の舞台
人が花を愛でるようになった時期は、その土地における里の登場以後のことであると思う
縄文の里の花たち
縄文時代は文字のない時代なので、考古学の独擅場である
数十年前から「花粉分析」という学問ができた
辻誠一郎氏(東京大学)によると、三内丸山遺跡の花粉分析の結果、 最初ブナやミズナラの森に覆われていたところが次第に開かれ、 遺跡の全盛期にはクリの花粉が大半を占めるようになったという
目だった花のない深い森から、花のある生態系にかわっていった
縄文から万葉の時代へ
地味な花が多かった
中尾佐助「花と木の文化史 (岩波新書)」には『万葉集』に登場する植物リスト トップはハギ、ニ位がウメ。(三位以下は研究者によって数え方が多少異なるば、木下武司氏によると、マツ、タチバナ、アシと続く) ハギとウメはこの時代の春秋の花の代表。(梅と松は外来植物)
万葉集の山上憶良の秋の七草の歌・・地味な花
花はカレンダー
花は、生物季節にも取り上げられる
桜・・「桜前線」
暦上の日付より実際の季節の動きを忠実に反映する
花を見て季節を感じ、歌に詠む行為はこころの問題
ここの時代にどんな花があたtか 坂井ひろこ氏が縄文花カレンダーにまとめている
コブシ、フキ、ニワトコなど
そして人は色香に狂うようになった
人はなぜ花を愛でるのか
花が人に色香を教えたからである

人が花から受ける感覚はまず視覚、つまり色の感覚である。
花の色は手にとって見られる。しかも、はかない。それは常に移ろい同じ色のままとどまることはない、 人が、花から色と同時に受け取る感覚が香りの感覚。
花の登場が農耕以後のことであるとすれば、人が色香に狂うようになったのも農耕以後のことである。
色香のような、人のこころの最も奥底にある感情の琴線に触れたからこそ、人は花を愛でるようになったのではないか。(P126)
農耕の起こりと花 コリン・タッジ「農業は人間の原罪」
(この書名は※「農業は人類の原罪である (進化論の現在)」のまちがいbyM)
狩猟採集民ネアンデルタール人の滅亡の原因は、農耕民クロマニヨンたちが草原を穀物の畑に変えたことで野生動物が絶滅したためという仮説
この仮説によれば農業の始まりは1万年前というような近過去でなくもっと昔の出来事

花をまとい、花を贈るということ

日本史・衣服史:武田佐知子

花をまとう
花の生命力
死者に捧げる花
対等な関係ではない花の贈答
「はなむけ」は「馬の鼻向け」のいいで、旅立つ人の馬の鼻を行くべき方向へ向けて見送った習慣によるともいわれるが、 もともと送る側が、花を飾りたてて別れの宴を催すことからきたという。
花を贈る側、贈られる側の間には常に一線が引かれている
贈る側と、贈られる側が、生と死、衆生と仏、残る者と旅立つ者など、立場、次元を異にする間で贈答が行われる
花の贈答が一般化していないとは言いながら、例外は病気の人に花を贈る風習
これは花の生命力を病人に類感させようという呪術的意味合いから解説されているが、これとて病人と健常者という落差の間で行われる贈答である
芸人、ひいき力士への心づけ=「花」:まず見物の時に造花を送って、翌日お金を届ける習わしから
歌舞伎の「花道」;ここを渡って客が役者に花を送った
「花形役者」:花を送られるほどの才能の持ち主
芸者や遊女の料金の「花代」花に変わるものとしての金銭
集団のシンボルだったと挿頭花
冠位十二階の冠の制度
冠に造花である髻華(けいか)を挿した (天皇から与えられた冠) 平安時代の宮中行事の時、天皇から藤花や桜、キクなどの生花を、冠に挿してもらうことになっていた 天皇と花を与えられた参列者との身分関係が確認された

花を詠う、花を描く

文学:美術の中の花

美術史:高階絵里加

この章は 危険区域なので迂回します(のちほど )
おわりににある部分は大いに共感できます。
日本の詩歌における花
西洋絵画の花
中国美術の花・日本美術の花
花の東西交流
おわりに
花そのものに力はなくとも、人は花に思いと意味を込めることができる。
あるときは神や仏への祈りを込めて、 あるときは現世の幸福への願いを乗せて、あるときは世界や宇宙の真理を表す言葉の代わりに、 またあるときは今ここにない人や場所やものを思い出すよすがとして、 そしてあるときは生命と繁殖力の象徴として、花は愛でられ、詠われ、描かれてきた。
「死」を宿命的に含む「生」の、あるいは「生」が最も輝く「愛」の時間の象徴でもある(p186-187)

花を喰らう人びと

生態人類学・民族生物学:秋道智彌

花と人間のかかわり
花の色や形の美しさ、かぐわしい匂い、開花してもほどなくして散る一過性
花が人の感性や美意識、情念、さらには超自然的な世界との関わり方に影響を与えてきた
花は人間文化の中で多様な意味を与えられた
第一は、言語表現・・花ことば
第二は、有体物・・花の表現
第三は、日常・非日常で花を用いる
花の象徴化(symbolization)
花の物質化(materialization)
人間が花を媒介として観念や思いを具現化し、 人と自然、人と人、人と超自然のコミュニケーションを実現する
花と身体
花食の文化
花食文化の地平
花菜・・ブロッコリーやカリフラワー、アーティチョーク、菜の花 (その他いろいろ)
酒・茶・蜜
精油(エッセンシャルオイル) 香味料・着色料
花を喰らう人びとー食と象徴のはざま
オガタマノキ属の金香木・・インドの神聖な木
花の芳香や広範囲におよぶ利用価値の高さ 人間は 花を眺めるだけでなく、食物、薬、精油、香辛料として不断に工夫しながら利用してきた。たかが花。されど花。

花を鑑賞する、花を育てるー花を愛でる美意識

白幡洋三郎

1.イギリス人は本当に花 好きか?
イギリス人は「花見」をしない
日本のサクラは広まったがヨーロッパのサクラの楽しみ方は日本と違う
2.花の鑑賞と栽培への関心
キクを手がかりに
アサガオを手がかりに
江戸時代の文化がシーラカンスのように生き続けて目の前にあることの驚き
3.花を愛でるとは一体どのような行為か?
「人がやるから自分もやる」といった動機が強い
人は自分の好みを社会関係の中で形成するように、 人が「花を愛でる」のは、他人が「花を愛でる」から
4.花を愛でる美意識について
異国趣味
古代エジプトの貴族の庭園ではヤグルマソウ、ヒナギク、スイレンなどがよく植えられていたが、これらはみな外来の草花
日本で「万葉集」の時代に梅が好まれたのも異国趣味の表れ
明治以降の日本でバラが愛好されてのは、上流階級の間で西洋文化に対するあこがれが強かったから
異国の植物を導入する専門的な人日ろ、いわゆるプラント・ハンターをたくさん生みだした西洋
「花を愛でる」動機の一つは「希少価値」の追及
奇形趣味・矮小趣味
中尾佐助は変下朝顔初め、オモト、サクラソウ、マツバランなどの植物を「古典園芸植物」と呼んで これらの愛好を「隠居趣味」と表現しえいる (後天的に形成された、美意識) 後天的な知識が庭にヒガンバナを植えることを妨害する(by中尾佐助)
現代社会において人が「花を愛でる」のはほとんど文化的(後天的)美意識による

おわりに

白幡洋三郎

普通はまず考えつかない問い。
実に気になる問い。
時代別、専門別に考察してもらった。(p264)
前半:人間と花との出会いを探る論考
人間の絵画表現の極めて早いもの:洞窟壁画
(3万年前)動物は描かれている(植物なし)
(6000年前)植物らしきもの(幹や葉)
縄文土器にも明らかに花を表現したものはない
(紀元前7000年頃)古代西アジア:人間が描いた最も古い花の絵(トルコの遺跡)
(紀元前6~7000年前)古代エジプト・メソポタミアの文明・・ロータス・パピルスと分かる花の表現
花への関心を文明の開始を区切る指標の一つとして考えられる
原始林には花はない。人間が定住し、農耕を始めると人間の周囲に花が多く現れるようになる。 (森林が切り開かれて、土地が撹乱されてはじめて、花らしい花が登場する)
後半:花と出会った人間がその後、花をどう扱ったか
花と人間とのかかわりがどれほど多方面で多様であるかを感じてもらえると思う(p266) しかし、再び『人はなぜ花を愛でるか?」という問が頭をもたげてくることと思う。
それなりの自分の答えは・・
人がひとりで生きて行くのは大変困難である。人間がもっともうまく暮らしていくための手立ては、 他者との関係を保ちながら集団で生きて行くこと。 ・・神とは人を超越した存在であり、最も人の意のままにならない他者の代表である。
「人はなぜ花を愛でるのか」神や他者の間に必要な「なかだち」、ひとを喜ばせる「かざり」の役割を期待して。
遺伝学、DNA考古学 の佐藤洋一郎さんの「人が花に出会ったとき」
私が今回この本をしっかり読もうと思ったのはここである。花の色ということを見ていたので・・・
人はなぜ花を愛でるのか
花が人に色香を教えたからである

そうなのである。別の本で見たいたことであるが、「ピンク」というのはシェークスピアの時代、まだ色の名前ではなく、なでしこの花のことであったという。・・
ネアンデルタール人については、学問的に厳密な裏付けはもちろんないが、ネアンデルタール人は埋葬を行ったがゆえにヒトであった、ということでよいと思う。
「文化のビックバン」という仮説だが、地球の誕生以来の時間の中で人類の誕生以来の時刻は須臾のもの。 先人の蓄積の上に文明は発展してきたとは思うものの、「農業革命」同様、それはなかったのではと・・・。故に、 もののあわれを知るヒトであるからには、花を愛し惜しむのだと言いたい。

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