いけばな

(・・栗田勇さんの「花のある暮らし」より抜き書き続き・・)
栗田勇著 岩波新書の「花を旅する」の続き。・・ 『花のある暮らし』の十一月の章です。 岩波書店の紹介ページhttp://www.iwanami.co.jp/hensyu/

目次
十一月 いけばな
花を活けるとは/花合わせで/花と仏性/花の美の広がり/佐々木道誉の婆沙羅ぶり/様式を整えていった時代/いけばなの美学確立へ/心情の中での洗練を基礎づける/華道一筋の道

活け花

花を活けるとは


花を切り取って活ける・・昔は女性の身だしなみ

西欧では、空間や衣装よ装飾・デザインという面が主で、 戸外の果樹は建築を装飾するもの


日本人は花に霊性を感じ、神の依代や神祭り、節気のシンボルに
行事に花の枝を手折って、「かずら」として頭の大切な飾りにして、花の霊性を身につける

仏教の流入・・
散華(さんげ)」・・ 花をまく
仏前に供花(くげ)、切り花を宗教的祭壇の前に見事な装飾として供える

カズラというと、葵祭の葵が思い浮かびます

2007年5月15日

花合わせで


花生けに切り花を飾り鑑賞した記録・・・枕草子(23)

勾欄のもとに
あおき瓶(かめ)のおおきなるをすえて、
桜のいみじうおもしろき枝の五尺ばかりなるを、
いと多くさしたれば・・・・

初めは室内でなく、勾欄や広縁においたようです 藤原定家の日記『明月記』に、花瓶に花を挿し立てて花合わせを行った記事がある
節気の行事として、神事の中の一つとして行われることが多かった
これが「いけばな」として形式を変えていくのは、貴族の寝殿造りから、 鎌倉・室町時代に「寝殿造り」となってゆき、 床飾りが定着してゆくにつれてである。

切り花のような。飾り花と思われがちな場合ですら、花の命の聖性は生きていて、 「いけばな」は芸術となり、「真善美」の表現へと向かった。(p125)

花と仏性

悉皆仏性
(山川草木国土悉皆仏性)道元『正法眼蔵』
宇宙より大きな命の流れを花の心、花の姿として感じ取る

花の美の広がり

先ずは花見の宴(812年2月嵯峨天皇が神泉苑に行ったのがはじめ)
宮廷で花くらべ(花合わせ)の行事
歌を読むことと一体化して、「美」と「真」を味わう行事に
勾欄や庭先の内庭に飾る、切り花となった
(宮廷文化)
村井康彦さんによれば、
花を「挿す・盛る・立てる」ために花瓶が用いられた(無造作であった)
鎌倉時代に入ると『たてる」という美意識が求められるようになった

佐々木道誉の婆沙羅ぶり

桜を瓶に活ける
『太平記』
当時型破りに無法な婆娑羅大名の代表とされる佐々木道誉が、 ライバルが将軍の御所で開く花見の宴にあてつけて、同じ時に京都、大原野の勝持寺(しょうじじ)で花見の宴を開いた
発想の逆転
桜の木はそのままに幹の周りに一丈あまりの花瓶を真鍮で作って鋳掛けた 花を切らず

様式を整えていった時代

『太平記』
北朝方道誉と南朝方楠木正儀のエピソード
普通、武将が邸に火を放って退去するところを、茶の湯の支度をととのえていった。
「泉水の木一本も損ぜす客殿の畳の一畳をも失わず」退去
美的=倫理的な規範となっていった
連歌の美学を受けとめて、花の美学を中心とした造園、茶の湯、猿楽能、狂言など様式を次第にととのえていった


「面白の花の都や、筆で書くとも及ばじ、東には祇園清水」
花のイメージが居の都市全体にふくらんでいった
中世後期「洛中洛外図屏風」四季の変化が書き込まれる


『源氏物語』
女性たちの住まい六条院
南東の御殿・・紫の上の春の御殿
南西の御殿・・秋好中宮(秋の趣)
北東の御殿・・花散里(夏)
北西の御殿・・明石の上(冬)
→四季の景色=仏教の極楽浄土と大和絵の四季絵がしみ出している(by岡見正雄)


いけばなの美学確立へ

「立て花」が 座敷飾りの三具足から独立して「立花(りっか)」となって、今日のいけばなの源となる
いけばなが明確に始まったのは、美的精神を求める傑出した花師が現れはじめた時
立花の専門家であり連歌師としても著名であった池坊専慶
『花王以来の花伝書』
48瓶の花の絵を並べ、その名と説明が片仮名混じりで書かれている

心情の中での洗練を基礎づける

立花の美学の確立書と言われる 『専応口伝』
美的感動の形を整理し、流儀、口伝、家元制として、全体として「道」という、やや道教も通じる「真の花] が求められようになった。
日本では清楚、単純、簡潔な、いわば有無相通じる様な極点を目指してゆく。

華道一筋の道

『専応口伝』
「瓶に花をさう事いにしえよりあるとはきき侍れど、 それは美しき花のみ賞して、 草木の風興をもわきまえず、 只さし生えたるばかりなり」
「この一流(池坊)は野辺水辺おのずからなる姿を居上にあらわし」 「ただ小水尺樹をもって江山数程の勝概(勝景)をあらわし」 「花に己が心を写し花瓶にいける」
自らの心身そのものが「花」となり、「天理」と一体化すること、そこに華道一筋の道を説いた
花を旅し、花の中に我が心を写してみる・・・(p139)

「一部の限られたプロフェッショナルな技=アートにでなく」とあるのは良いですね。




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