マツ 一月の松

   
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常緑樹・・・常に緑の『聖なる木』

  ドイツでは 樅の木ですよね。
それと心変わりの不誠実な女を対比した
民謡 … Der Tannenbaum(Volksweise)
これがブラームスの大学祝典序曲の一つになったんでした??

・・と検索したけどわかりませんでした。

モミの木:クリスマス・キャロル…… 聖なる木・・・・

樅の木  訳詞者 並木祐一   ドイツ民謡

樅(もみ)の木 樅の木 生(お)いや茂(しげ)れる
木(こ)かげをさまよい 語(かた)りし思(おも)い出(で)
樅の木 樅の木 いまなお恋(こい)し


乙女(おとめ)よ 乙女よ 汝(なんじ)はいずこよ
木かげをさまよい 誓(ちか)いし幸(さち)の日(ひ)
乙女よ 乙女よ いずこに行(ゆ)きし

(乙女を捨象↓)

緑の樅の木 気高く そびえ 緑の 樅の木 気高く そびえ
真夏の 日照りも 真冬の 雪にも変わらぬ その色 心の友よ

緑の 樅の木 雄々しく そびえ 緑の 樅の木 雄々しく そびえ
楽しい 春の日 寂しい 秋の日 変わらぬ その葉は まことの姿

松 さて、本題です。日本の常緑樹、松…
(岩波新書の「花を旅する」栗田勇著(2001年3月21日刊)の

一月の松
古事記でヤマトタケルノミコトが
その運命のクライマックスでうたう歌

また、父帝の没後反逆罪で捕らえられて七日後に絞首刑にされた
有馬皇子(19歳)が、自ら傷みて松が枝を結ぶ歌・・・
こういうものから、

日本神話の根本(古代呪術習俗祈りや誓い)をなすものが
松にあると・・・いう話
です・・・

古事記の時代、原種の松は
クロマツ
アカマツ
ゴヨウマツ
があったろうという・・

「門松」の松竹梅は中国の影響でたぶん
平安末期からという。

「松」自体は
万葉集にも80種歌われ その多くは、とわの緑への祝賀の歌で
また、民俗学の調査では
ビルマやタイでも2本の柱の間に注連縄を張るということはあったが、
木の柱は必ずしも松ではなくそれぞれの土地の樹木をつかった・・

それが日本では松に収斂したのです。
ということで、やっぱり日本における松は、もともと、中国の影響以前に
なにものかであったのはないかと思いたいが、
しかし勉強不足〜〜//ということでちょっとお宿題です。

万葉集: 松を詠んだ歌
「松は昔から、神の憑(よ)り代(しろ)、
つまり神様が天から降りてこられる木として考えられてきました。」


(勉強タイム)

湯浅浩史:「植物と行事 その由来を推理する 」

植物と行事―その由来を推理する(朝日選書1993年7月刊)


前書きには
主要な年中行事の全てには、植物が関わってくる」とあります。

「植物の利用や信仰が先にあって、それから年中行事が生まれた
考えられる場合も少なくない」・・・・
現代は「年中行事もその意義が薄れ、形骸化しつつある」
「このような時代に、行事の起源に深く関わった植物を
見直してみるのも、意義があるだろう」とあり

続いて
1 神と交わる木、マツ・・とでてきます
この章をまとめると
1)「祀るは、マツをあがめることから由来した」(石田實説)

2) 諸国に分布する「柱松」という地名から、
「マツを神と交わる木とみた」(柳田国男「日本の祭」)

3)万葉集には門松の歌は一つもない

4)日本の行事の多くは中国の影響を受けている
しかし 一部では中国でも松や柏を飾ることが行われたらしいが
一般には桃符(トウフ)」(赤い春聯)という
本来は桃の板を門に飾った

日本では「桃」の字で書かれた植物の実態は
よくわからなかったのではないか(前川文夫説「日本人と植物」)

そこで日本では霊力を持つと考えられていた
マツの方が広がったのであろう)


4)はやし(林)ははやすに由来し切ることの縁起言葉
門松はそれ以前にあったさまざまなマツ信仰を吸収して現在にいたった

とあります・ 2003/01/15
「常盤(ときわ)木」「ときわ緑」 「吉祥木」
それってなんだ〜〜ってこともあり・・・

泉さんの松の話も もうちょっと以下に

泉さんが書いておられること・・
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敗残した英雄が最後の頼みとしたのは一本の松だった・・
これはクロマツだったんだろうなぁと思うのだ。

命を落とすことになった伊吹山での戦いのさなかの話なんでしょう?
痩せ尾根や岩場に生えるクロマツなら、
なかなか立派なものになってたはずだからね。
そういうものは神の依代(よりしろ)としての風格も十分なはず。
でも、この段階では、巨岩巨木崇拝と変わらない気がする。

普段人目に付く場所にあるものではなく、
わざわざそこまで出向かないと見ることができないもの。

アカマツが依代(よりしろ)になるためには、
里の発達が不可欠だと思う。

アカマツの林は遷移の途中に現れるものが多く、
自然林の中で大径木になるのはなかなか大変。
里の開けた場所ではどっしりした樹形になりやすい。

門松を立てるような里住まいの人たちには
クロマツよりアカマツの方が馴染みが深いだろうし、
アカマツがよりしろになれるためには、
人里の開けた場所の発達が前提となっていると思う。
陽当たりのいい場所で
じっくり枝葉を広げられる必要があるのよね。

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榊や椿、姫榊、樅などは陰樹と言って日陰に耐える樹。
低山から平地に住む人には、ごく普通の植物で手に入りやすい、
なので土着信仰と結びつきが強い。
都の流行りで、松飾りがはやり出すにつれて、
お正月の飾りからこれらの植物が閉め出されてきたようだ。
_______________________________
どうもありがとう〜〜モウちょっと検討ですけど・・
それと原初の「マツ」は松だけをさしていなかったかもという説も
(そこまで言ったらどうなるんだ〜〜〜(○`ε´〇))

先の湯浅さんの著書には 正月飾りの背景についても
少々ありました

ウラジロ、ユズリハ、ダイダイ、コブ
これらは
「縁起のいい語呂合わせに由来するのか」

これも、別の意味であろうという推察です
餅つきは稲の収穫儀式⇒
ウラジロ=ホナガ
稲穂より更に長大なウラジロを豊作のシンボルとして扱った

前川文雄(1908〜1984)の「植物入門」(八坂書房1995年4月刊)
「2植物の名前 正月の植物」のところで
松竹梅について
「純粋に植物学的な代表としても、あのたくさんの種類の中から
実にうまく選択したものだ」(牧野博士説)

(裸子植物とともに三つの大きな群の代表として採用したと受け取る)

さらにセンリョウを加えて画竜点睛
センリョウは進化をやりそこなった数少ない種類
(子房は進化したが茎は進化してない)

「花の文化誌」小林忠雄&半田賢龍(雄山閣出版1999年4月刊)
も 参照して
もう少し花の文化のお勉強してみます〜
・・・ついでに白洲正子「草づくし」・・?
初up2003/01/16

lastModified: 2011年


|関連サイト:唐草図鑑聖樹・生命樹
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