岩波新書の「花を旅する」栗田勇著(2001年3月21日刊)を参照しながら、
私も花の文化を考える旅をすることにします。
さて、三月の桃です・・
桃 モモ
ハナモモ(花桃)
学名:Prunus persica
科名:バラ科モモ属
中国原産
photo by 葉っぱの岬
要約の試みのまえに
目次読書
親しさとイメージ
桃太郎伝説
桃の呪術力
天地創造と桃
桃の節句
文化の形
三月三日の宴
蘭亭の曲水の宴
桃源郷の豊かなイメージ
「桃夭」の詩
日本文化への浸透
文芸の中への浸透
花の心━結びとして
親しさとイメージ
桃の花を思い浮かべるか、実を思うか
花は春の、実は秋の季語
果樹としての栽培は江戸時代から
有毛と毛のない桃という分類
桃太郎伝説
五大お伽話の一つ
主役は「翁」や「童子」(異界の住民)
桃・・霊的能力の原泉
繁殖力強い、実の形は女性の性的象徴
仙果
桃の呪術力
『古事記』
伊邪那岐命が、黄泉軍(よもついくさ)の鬼たちに追われた時、最後に桃の実を投げて追い払った
起源は中国の桃神話
『詩経』(古代中国の民族詩集)に桃の詩篇がたくさんある
女性の方から男性に恋情を知らせるのに桃を投げた風習があった
多産祈願、魔除けなど極めて強力な生命エネルギーのシンボルとして用いられた記録がある
正月には「桃符(とうふ)」と呼ばれるばれる札が門口に貼られた
天地創造と桃
西王母(せいおうぼ)=中国の天地宇宙の創造主
三千年に一度だけ実を結ぶ桃の伝説
桃都山(世界の東南の果てにある)に、枝と枝の間が三千里もある大樹がある
(または)
度朔山には「蟠桃(はんとう)」と呼ばれる桃の大樹が三千里にわだかまっている
道教では、
玉京山(天地の中央にそびえる)には、三百九十億里の高さの桃の木が生えている
桃の咲き乱れる中を通って桃源郷に通じる
宇宙樹としての桃
人類普遍の神話的構造の一部
桃の節句
この世とあの世のけがれときよめ・・日本人の古代からの世界感覚
「追灘(ついな)」・・
大みそかの行事、中国起源、日本へは文武天皇のころ伝わる
正月行事、「卯槌(うづち)」・・正月の上の卯の日に、桃の木を長さ3寸、一寸四方に切って、縦に穴をあけ、五色の組み紐を五尺ほどたらして呪物とした(宮廷行事)
江戸時代に三月三日が「上巳の節句」とされた
奇数の重なる日・・中国で陽として尊ばれる・・中国では早くも魏の時代(220〜265)に固定していた
文化の形
長い間に、複雑な要素が結合、融合
形は動きながらも、続いていく
自然の季節とのけじめをつけ、生命力を強めようという本筋はたがわない
三月三日の宴
雛祭り
この美しい人形をその由来である「人形(ひとがた)」や「流し雛」とおもうのはためらわれる。むしろ宴の仲間と思いたい(p210)
厳粛な神事であれば、そのあと「直会(なおらい)」としての宴がある
雛祭りが中心となったのは江戸時代も寛永(17世紀前半)のころ
平安のころは、不老長寿の妙薬とされていた桃花餅、桃花酒、白酒のご馳走が並べられ宮廷貴族の間では曲水の詩宴が催された
庶民は「磯あそび」「浜下り」「山あそび」「花見」
杜甫「古希」のいわれのもととなった賀詩「曲江」(8世紀)
(この詩はこちらから)
蘭亭の曲水の宴
王羲之(307?〜365?)が英和9年(353年)3月3日に分人41人を招き桃の花の下、曲水の宴を開き
『蘭亭集』を残した
桃源郷の豊かなイメージ
桃源郷
陶淵明(365〜427)『桃花源記』武陵桃源「山中他界」(時間的距離がある)
王維(701?〜761)「桃源行」
「桃夭」の詩
『詩経』の民謡(祝婚歌)
日本文化への浸透
早くから自省していた
中国のように文芸の中心にはならなかった。
平安時代になると桜が、桃や梅を押しのけて歌われるようになった(好みの気質の伝統)
文芸の中への浸透
『懐風藻』(日本最古の漢詩集)に三月三日の宴の詩が三首あり
桜井氏によれば『万葉集』には植物の桃を詠んだ歌は6首
全て「桃」の漢字でよまれているという
大伴家持
春の苑
紅にほふ桃の花
下照る道にいで立つををとめ
巻19−4139
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